ふと何年か前のメモを見返していて、哀しくなっています。

そこには、このブログのように、その日の出来事が短く残されています。
なかでも、自分で見返して泣きそうになった出来事があります。

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仕事帰りに母親から、『町内会長さんに伝えてほしいことがあるから、会長さんの家に行くように』と頼まれた。
でも道が分からないから、電話でもいいか聞いたところ電話をガチャ切りされた。

どうしようもないので母親に電話すると、『もう結構でございます』との返事。

そこで済ませてもトラブルになるだけなので、しつこく聞き出したところ、
「書類をもらいにいくのは来週でもいいか」
という内容だった。

すると『その書類は来週でなければ(町内会長さんの)手元には届かないから』とのこと。
今週提出する必要はない。

帰宅して母親に伝えたら、
「だから何?」
といわれた。
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頼まれたことをして帰って、現状を報告して、「だから何?」…

最近いくらか状況が落ち着いているんで、なんだか全てが有耶無耶になっていますが、そもそもはこういう人だったんですよね。
「今」が比較的静かなだけっていうのを、喧嘩していない最中は忘れてしまうのは、
やはり家族というフィルターがかかっているからなのでしょう。

他人なら絶対忘れないレベルな気もします。

家族って、何なんでしょう。

こういうことばかりあるから、私は家族に対する情が薄いのですが、
それでも無意識のうちに、
「家族だから」
で忘れていくことがたくさんあるのでしょうね、きっと。